ギニア人 IN GAMBIA PART3

ギニア人 IN GAMBIA PART3

さて、突如観光ガイドと化したオマールに案内してもらい(前回参照)
快適に楽しく約束場所にたどり着いた自分たちでした。

あまりに親切なので、後で「ガイド料くれ」という展開かな??

と思いきや、
ウスマンはすぐ着くと言いならもナカナカ現れず、オマールも
ずっと一緒に待ってくれた。

20分後ぐらいにようやくチャリンコでウスマンが登場。
オマールがウスマンに挨拶し、

 「じゃ、俺はこれで。」

とおもむろに去ろうとしたので、

 「え?ちょっと待って!」

まさかのただのベタベタに親切な人でした。
あまりに時間と労力を使わせてしまったので

 「昼飯でも食ってよ。」

と言いお金を差し出すと、

 「え?いいよ!いらないよ」

と突き返されたので、

 「いや悪いよ!」

と言い手に握らせたけれどもまた戻されてしまった

 「じゃあ、暇なときにでも電話くれよ」

ってな感じで携帯番号の交換とあいなりました。

いや、親切な人っているもんですな!ビッくりしました。
ガンビアでは何回かこういうことが起きた。
治安もいいし人々の雰囲気も優しく、最高な国だった。
最高なガイド付き散歩も終わり、オマールと別れ、
ウスマンと歩き出した。
彼は乗ってきたマウンテンバイクを引きながら人懐っこい
感じでギニアのことなどを話した。
ギニアからガンビアに写ってきたのは8年前、もう4年も
ギニアへは帰ってないということだった。
ガンビアの暮らしは「まあまあ」ということだった
仕事もあるし、ギニアよりアーティストとして稼げるのだ
という。
ガンビアに行く前よりいろいろな人から、ホテルで太鼓の
仕事があり、それ目当てでギニア人がガンビアに流れている
という話を聞いていたので、まさに彼らのことなんだなと
軽く、ジャーナリスト気分を味わっていた。

そのホテルというのは、PART1で書いたセネガンビアの
エリアのホテルのことだ。

 ライブ会場のホテルの名前はなんと、

「イエローモンキーホテル」

なんと言う名前だろう。笑
 
ってな感じの話で盛り上がりながら、彼らの居住エリアに着く
と、早速ギニア人らしきラスタマンが家の前でバイクをいじっ
ていた。
ギニア人アーティストは何故か見て直ぐにわかってしまう
ウスマンが紹介してくれてこちらもスス語で挨拶すると
すごい盛り上がりを見せる。

「おい、この日本人スス喋るぞ!」

なかから数人現れ、ハイテンションな挨拶ビームに遭った。

どうやらギニア人同士でひとつの家をシェアしているようだ。
なかに通されると、ナカナカいい感じの家だった
テレビ、絨毯、無数の楽器、快適で楽しそうな暮らしに見えた。

ここでもギニアの話で一盛り上がり、特にギニアのアーティスト
の名前を出すと皆、すごい興奮し、ゴンゴマで歓迎の歌を歌って
くれた。
自分たちもギニアが懐かしくなり、楽しいひと時を過ごした。

ひと盛り上がりした後、腹が減ったのか、大きなアルミ鍋を
持ってきた。
中にはオレンジ色の炊いたコメが半分入っていた。

「腹減っただろ?飯食おう!」

と言われスプーンを渡された。
が、本当にコメのみなのだ。なんとうか、

「トマト汁で米を炊きました。ちょっぴりマギー風味」

みたいな感じなので、流石に気は進まなかったが、結局結構
食べてしまった。当然美味しくはない。あまりきれいな水で
炊いた感じがしなかった。少し金属っぽい香りがした。

若者なのでメンドクサさでそういうことになったか
節約のあまり、具はなしなのか。
なんにせよ、

故郷を離れたくましく生きている若者たちの香りプンプンな
昼飯になったことは間違いない。
特に上手くもまずくもないあの味は今でも忘れられない。

2時間くらいそんなこんなで盛り上がり、

「今度イエローモンキーでライブがあるから来いよ!」

という展開になり、行く約束してその日は帰った。


                          つづく。
 

























 



さて、突如観光ガイドと化したオマールに案内してもらい(前回参照)
快適に楽しく約束場所にたどり着いた自分たちでした。

あまりに親切なので、後で「ガイド料くれ」という展開かな??

と思いきや、
ウスマンはすぐ着くと言いならもナカナカ現れず、オマールも
ずっと一緒に待ってくれた。

20分後ぐらいにようやくチャリンコでウスマンが登場。
オマールがウスマンに挨拶し、

 「じゃ、俺はこれで。」

とおもむろに去ろうとしたので、

 「え?ちょっと待って!」

まさかのただのベタベタに親切な人でした。
あまりに時間と労力を使わせてしまったので

 「昼飯でも食ってよ。」

と言いお金を差し出すと、

 「え?いいよ!いらないよ」

と突き返されたので、

 「いや悪いよ!」

と言い手に握らせたけれどもまた戻されてしまった

 「じゃあ、暇なときにでも電話くれよ」

ってな感じで携帯番号の交換とあいなりました。

いや、親切な人っているもんですな!ビッくりしました。
ガンビアでは何回かこういうことが起きた。
治安もいいし人々の雰囲気も優しく、最高な国だった。
最高なガイド付き散歩も終わり、オマールと別れ、
ウスマンと歩き出した。
彼は乗ってきたマウンテンバイクを引きながら人懐っこい
感じでギニアのことなどを話した。
ギニアからガンビアに写ってきたのは8年前、もう4年も
ギニアへは帰ってないということだった。
ガンビアの暮らしは「まあまあ」ということだった
仕事もあるし、ギニアよりアーティストとして稼げるのだ
という。
ガンビアに行く前よりいろいろな人から、ホテルで太鼓の
仕事があり、それ目当てでギニア人がガンビアに流れている
という話を聞いていたので、まさに彼らのことなんだなと
軽く、ジャーナリスト気分を味わっていた。

そのホテルというのは、PART1で書いたセネガンビアの
エリアのホテルのことだ。

 ライブ会場のホテルの名前はなんと、

「イエローモンキーホテル」

なんと言う名前だろう。笑
 
ってな感じの話で盛り上がりながら、彼らの居住エリアに着く
と、早速ギニア人らしきラスタマンが家の前でバイクをいじっ
ていた。
ギニア人アーティストは何故か見て直ぐにわかってしまう
ウスマンが紹介してくれてこちらもスス語で挨拶すると
すごい盛り上がりを見せる。

「おい、この日本人スス喋るぞ!」

なかから数人現れ、ハイテンションな挨拶ビームに遭った。

どうやらギニア人同士でひとつの家をシェアしているようだ。
なかに通されると、ナカナカいい感じの家だった
テレビ、絨毯、無数の楽器、快適で楽しそうな暮らしに見えた。

ここでもギニアの話で一盛り上がり、特にギニアのアーティスト
の名前を出すと皆、すごい興奮し、ゴンゴマで歓迎の歌を歌って
くれた。
自分たちもギニアが懐かしくなり、楽しいひと時を過ごした。

ひと盛り上がりした後、腹が減ったのか、大きなアルミ鍋を
持ってきた。
中にはオレンジ色の炊いたコメが半分入っていた。

「腹減っただろ?飯食おう!」

と言われスプーンを渡された。
が、本当にコメのみなのだ。なんとうか、

「トマト汁で米を炊きました。ちょっぴりマギー風味」

みたいな感じなので、流石に気は進まなかったが、結局結構
食べてしまった。当然美味しくはない。あまりきれいな水で
炊いた感じがしなかった。少し金属っぽい香りがした。

若者なのでメンドクサさでそういうことになったか
節約のあまり、具はなしなのか。
なんにせよ、

故郷を離れたくましく生きている若者たちの香りプンプンな
昼飯になったことは間違いない。
特に上手くもまずくもないあの味は今でも忘れられない。

2時間くらいそんなこんなで盛り上がり、

「今度イエローモンキーでライブがあるから来いよ!」

という展開になり、行く約束してその日は帰った。


* 写真は彼等の巣

                          つづく。