物の存在

物の存在
先日までセネガル、ガンビアに行って来ました!

いつもアフリカに行く度に思う事がある

そして、やっぱり今年も思った

 完全に密封でき、乱暴に扱わなければほぼ
 永遠に使える容器

 欲しいでしょう??
 
この物の存在について。
別に、今さらゴミ問題とか言うわけではない
思うところは世の中のバランスだ

 ペットボトル である。

日本ではゴミ、アフリカでは価値のある容器
勿論、売る事もできます。

ペットボトルがゴミになる瞬間とはいつか?

 今でしょ…  

いやいや、悪い冗談はさておき、当然飲み物が無くなった時だ

ここが異様なんですね。

買って早ければ2~3分で

 完全に密封でき…以下略 がゴミに!!!
 
ある意味究極の科学的変化ともいえる。

よくあるゴミ問題のような真面目な話で申し訳ないがいつも
思うので書いてみました。 

これは社会的な科学変化なのだろうか。
というか個人個人それぞれなのだろうか?

自身日本にいるときはやっぱり、

 飲んですぐ捨てる

ゴミと決めるのは自分なのだ。

よく考えればおかしいが

「そういうもの」

なのだ、ペットボトルのゴミの仕分けができている位ですから。
やはりゴミ扱いなのだ。システムですな。

一方アフリカでは、空になってから長いセカンドライフ
が待っている。
というか、そこからが長い。
セネガルで水道水をペットボトルに入れて冷やし
売っているのだが、飲み終わったら返して欲しい
らしく、飲み終わるまで待たれる事もある。

こうして、いつの間にか蓋が別になってしまった
としても、壊れて使えなくなるまでというわけだ

話が飛ぶが、アフリカには自殺はないらしい。

暗い話で申し訳ないが一度聞いてみたかったのだ。

自殺を知らないアフリカ人にその意味を教えると
大概、

 こんなに生きるのに大変なのに何故?

と聞かれるが、これはペットボトルと同じ

つまるところ、大都会に飲まれると自分の価値が
ないように思えてしまう。
という状況が存在するというわけではないか?
田舎だとしても、日本の核家族スタイルだと同じ
ことになりかねない。

金銭面のトラブルや孤独その他いろいろ原因もあるが

結局、圧倒的な物量、都会から流れてくるシステムの前に
負けてしまう。という意味では同じな気がする。

祭りや伝統行事などが消えていくのもそのういうことだろう

うちの近所の祭りは苦情で中止になったりしているが
 
神様の存在がしっかりしていた時代であればギャグである笑

苦情の主の顔が見たい。

苦情を言うからには大々的に個人をむきだしの状態で言って
欲しいものだ。神にもの立場というものがある。
電話一本の出前苦情なんてまさにギャグだ。

人間の社会とそこで生まれる物、システムの量は膨大だ

人間は大きくなることができないのだから、もしそこに安定を
求めるならば、人との交流やつながりも成長しなければ人間は
小さくなる、システムに負けてしまうかもしれない

一人ぼっちというのは人間としてはミニマムな存在である。
アフリカの村や小さな市街地のように他人近所が近くにいていつでも
顔を合わせているというのは、やはり精神的には安定するはずだ。

また話が飛ぶが

村でバラフォンを見るとその存在に驚く。

よくこんなものが赤土の荒れた土地から出来上がったなと思うのである

正に、テクノロジーと言える。この感じは非常に心地よい。

鍛冶屋のオヤジが一生懸命作ったブッシュナイフ、これもまたやばい
存在感だ。

ジェンベなんてまるでスーパースターだ。

「おお!ジェンベだ!!と思ってしまう」

ペットボトル一つで井戸守のおばちゃんが、近所のおばちゃんと喧嘩して
いた。村でペットボトルなんて貴重だ。
空のものを送ってあげたいところだ。

レインボーアガマというよく見かけるトカゲ。

日本では数千円で売られている。
ギニアでは縁起が悪いのか嫌われていたりする。
自分は爬虫類が好きなので、日本にいるときは
ペットショップで眺めて、可愛いなとか、その価値を感じる
アフリカでは価値は感じないが、生き生きした状態を見かける
嬉しくなるが、コナクリにおいてはドブが汚れているため、
長生きはしないかもしれない。

日本、アフリカどっちがいいのか考えることは意味がないかも
しれないが

いつも、楽器を持って帰るたびに、楽器を生かしてやらにゃな、、
と思う。

ジャンベの存在を一度見直すのもいいと思う。

硬い話になってしまいました、失礼しました~

写真は前に書いたマンション

コナクリはブルヴィネにそびえ立つ巨大マンション
まさに「異様」な存在だが見ているといろいろ楽しい。